大雷音寺日記ログです。
台風21号の野郎が時速15Km→30Km→40Km→70Kmと、速度上げて去っていった。
来週もなんか来るみたい。
熱帯低気圧(台風22号になりそう)の進路。

わが三鷹の駅近くにコラルという商業ビルがある。
ミニなデパ地下や、今や貴重な店となった本屋のテナントも入っている。
その4階と2階で、クリィミーマミ展がやっているのだ。

2階のはちょろっと見たが、申し訳程度の展示物があるのみ。
4階は行ってないのだが終わるまでには覗いてみようかちら。
制作のスタジオぴえろは吉祥寺のマンションの一室からはじまり、三鷹にスタジオを構えたそうですな。
クリィミーマミは全然関係ないが、わしはマジカルエミの頃に吉祥寺のぴえろ版権管理事務所に何度かおじゃましていた。
たんにデザイン事務所のパシリですが。
学習雑誌向けコミカライズの絵コンテを描いてましてな。
クリンナップを依頼するのですよ。
探したら絵コンテ出てきたが、あまりにあまりなので出さない。
あの頃は野望に燃えていた。
わしもいつかはこんなふうにアニメ放映される漫画作品を作るのだと。
数年後にゲーム屋に拾われなかったら憤死してたろうな。
その後、間接的にわしの絵はTVで放映されたりしました。
ゲームのCMでな。
来週もなんか来るみたい。
熱帯低気圧(台風22号になりそう)の進路。

わが三鷹の駅近くにコラルという商業ビルがある。
ミニなデパ地下や、今や貴重な店となった本屋のテナントも入っている。
その4階と2階で、クリィミーマミ展がやっているのだ。

2階のはちょろっと見たが、申し訳程度の展示物があるのみ。
4階は行ってないのだが終わるまでには覗いてみようかちら。
制作のスタジオぴえろは吉祥寺のマンションの一室からはじまり、三鷹にスタジオを構えたそうですな。
クリィミーマミは全然関係ないが、わしはマジカルエミの頃に吉祥寺のぴえろ版権管理事務所に何度かおじゃましていた。
たんにデザイン事務所のパシリですが。
学習雑誌向けコミカライズの絵コンテを描いてましてな。
クリンナップを依頼するのですよ。
探したら絵コンテ出てきたが、あまりにあまりなので出さない。
あの頃は野望に燃えていた。
わしもいつかはこんなふうにアニメ放映される漫画作品を作るのだと。
数年後にゲーム屋に拾われなかったら憤死してたろうな。
その後、間接的にわしの絵はTVで放映されたりしました。
ゲームのCMでな。
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BBSでひろぞうさんから教わったばりすの記事。
テレネットの底力がいかんなく発揮されたアクションゲーム「夢幻戦士ヴァリス」

テレネッツの底力か……。
実は開発はウルフチームである。
もともと、テレネッツの開発部署を子会社化したのがウルフなのだ。
経緯はわからんのだが、その後テレネッツ本社で開発部署を新たに作っている。

さてさて、覚えてるうちに昔の事でもネタにしまひょか。
既に日記に書いた気もするが。
わしが入社した頃は、新日本レーザーソフト、ウルフチーム、レノベーションゲーム(後のライオット)と3つの開発会社になっていた。
だが数年後にはウルフもレーザーも全社吸収合併し、社名はブランド名となって残っている。
わしはライオット所属。
やがてバブルの絶頂期に会社は傾いた。
社長「毎月ゲームを出せ!」
このような事言うのがトップでしてな。
察してくだされ。
わしが辞めた後、テレネッツはナムコと組んでSFCでテイルズオブファンタジアを作りやがってな。
アレは主にウルフチーム開発だが、ライオットも開発に参加しているのだ。
OPデモから知ってる名前がつらつら出てきて正直ツラかった(笑
テイルズはどうでもいいが、このエロフィギュア。

当時、部長からもらいましたわ。
レジン製とソフビ製のやつ。
レジンの型を取って複製すれば一商売なんでもない。
テレネットの底力がいかんなく発揮されたアクションゲーム「夢幻戦士ヴァリス」

テレネッツの底力か……。
実は開発はウルフチームである。
もともと、テレネッツの開発部署を子会社化したのがウルフなのだ。
経緯はわからんのだが、その後テレネッツ本社で開発部署を新たに作っている。

さてさて、覚えてるうちに昔の事でもネタにしまひょか。
既に日記に書いた気もするが。
わしが入社した頃は、新日本レーザーソフト、ウルフチーム、レノベーションゲーム(後のライオット)と3つの開発会社になっていた。
だが数年後にはウルフもレーザーも全社吸収合併し、社名はブランド名となって残っている。
わしはライオット所属。
やがてバブルの絶頂期に会社は傾いた。
社長「毎月ゲームを出せ!」
このような事言うのがトップでしてな。
察してくだされ。
わしが辞めた後、テレネッツはナムコと組んでSFCでテイルズオブファンタジアを作りやがってな。
アレは主にウルフチーム開発だが、ライオットも開発に参加しているのだ。
OPデモから知ってる名前がつらつら出てきて正直ツラかった(笑
テイルズはどうでもいいが、このエロフィギュア。

当時、部長からもらいましたわ。
レジン製とソフビ製のやつ。
レジンの型を取って複製すれば一商売なんでもない。
レトロパソコンネタが切れたのでプロレス昔話。
学生時代。
先輩に何人もプロレスファンがおったという時代である。
好きが高じて昼休みに後輩と試合やってたのもおったわ。
美術部の部室でな。
痩せたプロレスファンの先輩Tは、部室に入場曲を鳴らしてやってくる男。
わしはあまりプロレスには詳しくない。
長年なんの曲か知らなかったのだが、先日ぐぐってやっとわかった。
スピニングトーホールド。
カセットデッキでコレ流しながら美術部に入ってくるのだ。
アホじゃろう?
「おまえ、コレで食っていくかもしれないぞ」
彼はわしの絵を見てそう言ってくれた。
実際その通りになりましてな。
わしは上京してデザイン事務所に入社。
幼児誌の絵を描きつつ、なぜかプロレス雑誌の仕事をしていたヨ。
わしよりプロレスを知らないオバハンが、サソリ固めを美しいと評していたな。

わしにはわからん……。
あれから数10年経っておる。
思いっきりGDGDな日記ですまん。
学生時代。
先輩に何人もプロレスファンがおったという時代である。
好きが高じて昼休みに後輩と試合やってたのもおったわ。
美術部の部室でな。
痩せたプロレスファンの先輩Tは、部室に入場曲を鳴らしてやってくる男。
わしはあまりプロレスには詳しくない。
長年なんの曲か知らなかったのだが、先日ぐぐってやっとわかった。
スピニングトーホールド。
カセットデッキでコレ流しながら美術部に入ってくるのだ。
アホじゃろう?
「おまえ、コレで食っていくかもしれないぞ」
彼はわしの絵を見てそう言ってくれた。
実際その通りになりましてな。
わしは上京してデザイン事務所に入社。
幼児誌の絵を描きつつ、なぜかプロレス雑誌の仕事をしていたヨ。
わしよりプロレスを知らないオバハンが、サソリ固めを美しいと評していたな。

わしにはわからん……。
あれから数10年経っておる。
思いっきりGDGDな日記ですまん。
ハワイの神官にレイオフさんという人がいるけど解雇されそうな名前だな。
それはともかく。
昔話の日である。 それも昭和の太古の昔。
わしがはじめて東京で務めたのが飯田橋にあるデザイン事務所。
よもや5年もここで社内イジメにあうとは思っても見なかった。
よく届け物のパシリに行かされたが、その道中で見たのがこの建物。

ハドソン東京事業所である。
この時はゲームなど興味もなかったので、なんかおかしなビルがあるとしか思わなかった。
ある日、助け舟のように新興ゲーム会社との縁ができて、とっととデザイン事務所を後にする。
1人孤立してイジメにあう社員は自分が悪いと思いこんで、メンタルが悪循環になるのだ。
早いとこやめちまえばよかったんだが考えが至らなかった。
わしが行った新興ゲーム会社はアイジーエス。
はじめておじゃました時はシャンカラのシミュレートの最中であった。
12時近くまでサビ残があったり泊まりも当然のブラックな勤務環境だったが、イジメ会社に比べると天国である。
そしてファミコンすっ飛ばしてPCエンジンのゲームの開発となった。
おお、やっとちょこっとハドソンと繋がった。
いつかあの市ヶ谷のビルに行く事もあるかと思ったが、全然なかったわ。
アイジーエスは1年で辞め、次に行ったのがテレネッツ。
わしよりちょっと遅れて入社したのが元ハドソンのプログラマーSだった。
夜、一緒に行った飯屋でハドソンの中○氏(レジェンド級プログラマ)と接近遭遇。
「げっ、中○だ!すまん、オレ隠れる!」
そう言ってSは巨体をテーブルの下に隠して飯を食う。
器用な奴め。
テレネッツは神楽坂にあり、市ヶ谷のハドソンに歩いていける距離。
生息域がかぶっているのだ。
なぜSがああもハドソンの元同僚と関わるのを恐れたのか?
それはメガドラのゲーム開発が頓挫した頃に明らかになる。
開発が佳境にさしかかろうという頃、連日会社に来ないSは会議室に呼び出された。
とうに開発メンバーから愛想を尽かされてたSは会議室で吊るし上げられ、上司に灰皿を投げつける。
その後会社を退職するが、PC98一式盗んで逃走。
こういう不義理やっとるから元同僚とも顔を合わせられんのだろう。
わし的には結構いいやつと思ってたので残念であった。
ちゅう、微妙にGDGDな日記でした。
それはともかく。
昔話の日である。 それも昭和の太古の昔。
わしがはじめて東京で務めたのが飯田橋にあるデザイン事務所。
よもや5年もここで社内イジメにあうとは思っても見なかった。
よく届け物のパシリに行かされたが、その道中で見たのがこの建物。

ハドソン東京事業所である。
この時はゲームなど興味もなかったので、なんかおかしなビルがあるとしか思わなかった。
ある日、助け舟のように新興ゲーム会社との縁ができて、とっととデザイン事務所を後にする。
1人孤立してイジメにあう社員は自分が悪いと思いこんで、メンタルが悪循環になるのだ。
早いとこやめちまえばよかったんだが考えが至らなかった。
わしが行った新興ゲーム会社はアイジーエス。
はじめておじゃました時はシャンカラのシミュレートの最中であった。
12時近くまでサビ残があったり泊まりも当然のブラックな勤務環境だったが、イジメ会社に比べると天国である。
そしてファミコンすっ飛ばしてPCエンジンのゲームの開発となった。
おお、やっとちょこっとハドソンと繋がった。
いつかあの市ヶ谷のビルに行く事もあるかと思ったが、全然なかったわ。
アイジーエスは1年で辞め、次に行ったのがテレネッツ。
わしよりちょっと遅れて入社したのが元ハドソンのプログラマーSだった。
夜、一緒に行った飯屋でハドソンの中○氏(レジェンド級プログラマ)と接近遭遇。
「げっ、中○だ!すまん、オレ隠れる!」
そう言ってSは巨体をテーブルの下に隠して飯を食う。
器用な奴め。
テレネッツは神楽坂にあり、市ヶ谷のハドソンに歩いていける距離。
生息域がかぶっているのだ。
なぜSがああもハドソンの元同僚と関わるのを恐れたのか?
それはメガドラのゲーム開発が頓挫した頃に明らかになる。
開発が佳境にさしかかろうという頃、連日会社に来ないSは会議室に呼び出された。
とうに開発メンバーから愛想を尽かされてたSは会議室で吊るし上げられ、上司に灰皿を投げつける。
その後会社を退職するが、PC98一式盗んで逃走。
こういう不義理やっとるから元同僚とも顔を合わせられんのだろう。
わし的には結構いいやつと思ってたので残念であった。
ちゅう、微妙にGDGDな日記でした。
今日はプチ昔ゲー話だす。
「PCエンジンのダンジョンエクスプローラー?その頃は幼稚園でした」
「幼稚園の頃セーラームーンにあこがれてました」
「はじめて見たガンダムはZガンダムで、小学生だった」
などと言う同僚達と仕事をしておる。
おじさんはめいっぱい脱力するしかない。
ちなみにダンジョンエクスプローラーの頃は、わしはファイナルゾーン2を開発してたわ。
ダンジョンエクスプローラー2の開発者は元同僚。
わしの描いた天使の詩タイトル画面見て解析しとったらしい。
業界狭いね。
ダンジョンエクスプローラーは、この画面から始まった。

内容はガントレットのパクいやインスパイアだが。
アブドラ・ザ・ブッチャーの入場曲ソックリと言われるBGMでもどぞ。
なかなかよい曲です。
「PCエンジンのダンジョンエクスプローラー?その頃は幼稚園でした」
「幼稚園の頃セーラームーンにあこがれてました」
「はじめて見たガンダムはZガンダムで、小学生だった」
などと言う同僚達と仕事をしておる。
おじさんはめいっぱい脱力するしかない。
ちなみにダンジョンエクスプローラーの頃は、わしはファイナルゾーン2を開発してたわ。
ダンジョンエクスプローラー2の開発者は元同僚。
わしの描いた天使の詩タイトル画面見て解析しとったらしい。
業界狭いね。
ダンジョンエクスプローラーは、この画面から始まった。

内容はガントレットのパクいやインスパイアだが。
アブドラ・ザ・ブッチャーの入場曲ソックリと言われるBGMでもどぞ。
なかなかよい曲です。
am11;00 小腹すいたので菓子パンでも食うか。
pm03;00 うむ空腹感がないので昼ヌキ、夜までナニも食うまい。
pm04;00 ハラ減った。死ぬ。カップ麺でいいから食うぞ。
わしは満腹中枢がいかれてるのか。
それはどうでもいいとして。
昔やったような気がするのだが、もう忘れたからいいや。
かのテレネッツグループのウル……狼隊。
早稲田に会社があった頃じゃ。
ゲーム屋は昔からブラック企業なので深夜でも当然のように仕事は続いている。
無給でな。
狼ビルの夜。社員は食事に出払っており、狼隊社長と女子事務員のみという状況。
「なぁわしとドッキングせぇへんか」
「な、なにをするんです!やめてください!!」
あろう事か本当の狼となってしまった狼社長。
そこへ社員たちが戻ってきた。
未遂で終わったが、社員たちは社長の狼藉を関係各社にFAX。
なんという信頼性のなさ。
ソレを聞いたテレネッツ社長。
「誰かソープに連れてってやれ」
いや犯罪なのだが……。
前世紀の企業モラルなんてこんなモンか。
今だと倒産まで追い込まれますな。
狼社長は、今ではどこで何をしているのか行方不明。
pm03;00 うむ空腹感がないので昼ヌキ、夜までナニも食うまい。
pm04;00 ハラ減った。死ぬ。カップ麺でいいから食うぞ。
わしは満腹中枢がいかれてるのか。
それはどうでもいいとして。
昔やったような気がするのだが、もう忘れたからいいや。
かのテレネッツグループのウル……狼隊。
早稲田に会社があった頃じゃ。
ゲーム屋は昔からブラック企業なので深夜でも当然のように仕事は続いている。
無給でな。
狼ビルの夜。社員は食事に出払っており、狼隊社長と女子事務員のみという状況。
「なぁわしとドッキングせぇへんか」
「な、なにをするんです!やめてください!!」
あろう事か本当の狼となってしまった狼社長。
そこへ社員たちが戻ってきた。
未遂で終わったが、社員たちは社長の狼藉を関係各社にFAX。
なんという信頼性のなさ。
ソレを聞いたテレネッツ社長。
「誰かソープに連れてってやれ」
いや犯罪なのだが……。
前世紀の企業モラルなんてこんなモンか。
今だと倒産まで追い込まれますな。
狼社長は、今ではどこで何をしているのか行方不明。
お花のデンドロビウムをぐぐるとガンダムだらけになるので勘弁してくれ。 
ガンダムつながりでバンダイミュージアム昔話だす。
そう遠くない昔、松戸にバンダイミュージアムがあり、かのMSイグルーが上映されてたですよ。
ガンダムSEEDデスティニーの頃だから……じゅ、14年前……。
うっ、めまいが……。
当時、このHPで知り合った何人かで行きました。
気の狂ったジオラマとか射撃ゲームとか、ガンダムの腕に乗れる実寸上半身モデルとか色々ありましたわ。



写真はギズモードジャパンより。
そこにはザクの開発過程の映像などもありましてな。
フレームむき出しのザクが構造材にタックルかましてるCGを見たわし。
ああ、コレコレ。
……巨大ロボットは現実には存在できないな。
などと夢のない事を思っておった。
数本のシリンダーで支える足首の負荷を思うと、カーボンナノファイバーでもムリだろう。
逆にザクの運動性能を実現できる金属があるとしたら、もはや破壊不可能じゃなかろうか。
戦車の砲撃で壊れるぐらいだと歩くこともできまい。
そうか、メカむき出しのモビルスーツは部品からしてビームの高熱でなければキズひとつつかない素材なのだ。
でも「時間よ止まれ」で兵士が手に持った爆弾1コでガンダムシールド吹っ飛んでたな。
やっぱジオンの兵器が変態なのだ。

ガンダムつながりでバンダイミュージアム昔話だす。
そう遠くない昔、松戸にバンダイミュージアムがあり、かのMSイグルーが上映されてたですよ。
ガンダムSEEDデスティニーの頃だから……じゅ、14年前……。
うっ、めまいが……。
当時、このHPで知り合った何人かで行きました。
気の狂ったジオラマとか射撃ゲームとか、ガンダムの腕に乗れる実寸上半身モデルとか色々ありましたわ。



写真はギズモードジャパンより。
そこにはザクの開発過程の映像などもありましてな。
フレームむき出しのザクが構造材にタックルかましてるCGを見たわし。
ああ、コレコレ。
……巨大ロボットは現実には存在できないな。
などと夢のない事を思っておった。
数本のシリンダーで支える足首の負荷を思うと、カーボンナノファイバーでもムリだろう。
逆にザクの運動性能を実現できる金属があるとしたら、もはや破壊不可能じゃなかろうか。
戦車の砲撃で壊れるぐらいだと歩くこともできまい。
そうか、メカむき出しのモビルスーツは部品からしてビームの高熱でなければキズひとつつかない素材なのだ。
でも「時間よ止まれ」で兵士が手に持った爆弾1コでガンダムシールド吹っ飛んでたな。
やっぱジオンの兵器が変態なのだ。
ワコールが狂った。

この微妙な絵は初代ときメモ的な。
既に投票は終わっているが、別にどうでもいいや。
今の会社に入った当初だから2……なんでもないずいぶん前。
バスに乗ってると日立社員の会話が聞こえてきた。
三鷹には日立アロカメディカルという医療機器の会社があったのだ。
日立社員「1ギガビットのROMが出ましてね……」
時はまだスーファミの天下。
32メガビットROMがもうすぐ出ようかという頃。
1ギガバイトのHDが10万円の時代だ。
既にテクノロジーはずっと先行ってたのだな。
たぶんその後の数年間のコストダウンで、ゲームソフトに搭載できるようになったのだろう。
つってもニンテンドー64の時でも最大512メガビット。
DSでやっと2ギガビット。
ちなみにセガの32Xは32メガビットなのだ。
2メガビットで大容量と言われてた時代が1986年。
ニンテンドーDSが出たのが2004年。
ギガビット時代に18年を要するのだった。
でもPSの1994年以降、ゲーム機は円盤主体になり誰もビット数なんて気にしとらん。
つまらんのぅ。

この微妙な絵は初代ときメモ的な。
既に投票は終わっているが、別にどうでもいいや。
今の会社に入った当初だから2……なんでもないずいぶん前。
バスに乗ってると日立社員の会話が聞こえてきた。
三鷹には日立アロカメディカルという医療機器の会社があったのだ。
日立社員「1ギガビットのROMが出ましてね……」
時はまだスーファミの天下。
32メガビットROMがもうすぐ出ようかという頃。
1ギガバイトのHDが10万円の時代だ。
既にテクノロジーはずっと先行ってたのだな。
たぶんその後の数年間のコストダウンで、ゲームソフトに搭載できるようになったのだろう。
つってもニンテンドー64の時でも最大512メガビット。
DSでやっと2ギガビット。
ちなみにセガの32Xは32メガビットなのだ。
2メガビットで大容量と言われてた時代が1986年。
ニンテンドーDSが出たのが2004年。
ギガビット時代に18年を要するのだった。
でもPSの1994年以降、ゲーム機は円盤主体になり誰もビット数なんて気にしとらん。
つまらんのぅ。
今日は大昔のCGがお題だすよ。
むかしキャノン販売のCMにマックス・ヘッドルームが登場したのだが、年寄りにしかわかるまい。
マックス・ヘッドルームとは、1984年のイギリスのTVドラマである。
ちゃんと見たことないのだが、結構ハードなSFドラマらしい。
CMのせいで、てっきりコミカルなやつかと思ってた。
当時のCGはマシンパワーもオペレータのスキルも今のように充実してないので、かなり荒いモンだった。
マックスヘッドルームに登場するCGキャラは、なんと特撮だとか。
役者に髪やしわを消す特殊メイクを施し、コントラスト高くなるように衣服も反射しやすいやつにして撮影したらしい。

その数年前の1981年。
メタルギアのスネークの元ネタ映画であるニューヨーク1997。
コレのワイヤーフレーム映像は、ミニチュアに輪郭線描いた特撮なのだ。
CGの予算が高かった頃は、特撮でCGぽくするのが一般的だった。
そんな状況でもモノホンCGをブチこんできたTron(1982)が、いかにバケモノ映画だったのかわまりますな。
むかしキャノン販売のCMにマックス・ヘッドルームが登場したのだが、年寄りにしかわかるまい。
マックス・ヘッドルームとは、1984年のイギリスのTVドラマである。
ちゃんと見たことないのだが、結構ハードなSFドラマらしい。
CMのせいで、てっきりコミカルなやつかと思ってた。
当時のCGはマシンパワーもオペレータのスキルも今のように充実してないので、かなり荒いモンだった。
マックスヘッドルームに登場するCGキャラは、なんと特撮だとか。
役者に髪やしわを消す特殊メイクを施し、コントラスト高くなるように衣服も反射しやすいやつにして撮影したらしい。

その数年前の1981年。
メタルギアのスネークの元ネタ映画であるニューヨーク1997。
コレのワイヤーフレーム映像は、ミニチュアに輪郭線描いた特撮なのだ。
CGの予算が高かった頃は、特撮でCGぽくするのが一般的だった。
そんな状況でもモノホンCGをブチこんできたTron(1982)が、いかにバケモノ映画だったのかわまりますな。
隔週でルンバに部屋の掃除させとります。

ヤツは進行方向にホコリ置いとくと避けるんだが、なぜだ?
そして掃除が終わって電源ドックに戻ろうという時、障害物でドックを見失いしばらく混乱してさまよっておった。
それはどうでもいいとして。
スイカをいじってて思い出した昔話だす。
お題はROMカード。

もはや滅びたメディアだが、ゲームソフトにROMカードというのがありましてな。
ROMカートリッジの一種でようするにICカード。
かさばるカートリッジ形態の流通上負荷とユーザーの収納性の解消を狙ったブツだが、PCエンジンでつかの間の栄光を見た後CD-ROMに駆逐された。
コレはハドソンと三菱樹脂が共同開発したBEEカードが先祖にあたり、世界初のメモリーカードだったらしい。
MSXで7本出してしんだ。
同じ頃セガのSG-1000とSG-3000用にマイカードというメディアも登場。
開発も三菱樹脂でBEEカードとほぼ同じ機能だったが互換性はなし。
セガマーク3にも専用マイカードが採用されたが、拡張性のなさからROMカートリッジに主権が戻る。
だがマーク3にはわしの知らないカードメディアもあった。
EPマイカードという、書き換え可能なブツで、なんと販売店に書き換え機を置いて安価で新ゲームを配信する計画があったそうだ。
でも実験だけで終わってしまった。
ちなみにファミコンディスクの出る以前の話で、先見の明がありながら沈没するというセガらしさである。
その後PCエンジンのHuカードが2メガビットという当時の大容量で登場し、最終的に20メガビットにまで拡張するのだが(CD-ROMがあるのに)、その時はスーファミの天下で時既に遅し。
ROMカードはたぶんHuカードを最後にゲーム用メディアから消えた。
セーブ用メモリカードはゲームメディアじゃないので別モノね。
ちゅうカードの歴史ダイジェストでした。
今日の成果は……。
インド人の線画を修整しただけだす。
OPIを直してるだけで終わってしまった。

服乗せるベースね。
休みはあと1日なのに、コレで何か進むのか?
実は月曜は墓参り。

ヤツは進行方向にホコリ置いとくと避けるんだが、なぜだ?
そして掃除が終わって電源ドックに戻ろうという時、障害物でドックを見失いしばらく混乱してさまよっておった。
それはどうでもいいとして。
スイカをいじってて思い出した昔話だす。
お題はROMカード。



もはや滅びたメディアだが、ゲームソフトにROMカードというのがありましてな。
ROMカートリッジの一種でようするにICカード。
かさばるカートリッジ形態の流通上負荷とユーザーの収納性の解消を狙ったブツだが、PCエンジンでつかの間の栄光を見た後CD-ROMに駆逐された。
コレはハドソンと三菱樹脂が共同開発したBEEカードが先祖にあたり、世界初のメモリーカードだったらしい。
MSXで7本出してしんだ。
同じ頃セガのSG-1000とSG-3000用にマイカードというメディアも登場。
開発も三菱樹脂でBEEカードとほぼ同じ機能だったが互換性はなし。
セガマーク3にも専用マイカードが採用されたが、拡張性のなさからROMカートリッジに主権が戻る。
だがマーク3にはわしの知らないカードメディアもあった。
EPマイカードという、書き換え可能なブツで、なんと販売店に書き換え機を置いて安価で新ゲームを配信する計画があったそうだ。
でも実験だけで終わってしまった。
ちなみにファミコンディスクの出る以前の話で、先見の明がありながら沈没するというセガらしさである。
その後PCエンジンのHuカードが2メガビットという当時の大容量で登場し、最終的に20メガビットにまで拡張するのだが(CD-ROMがあるのに)、その時はスーファミの天下で時既に遅し。
ROMカードはたぶんHuカードを最後にゲーム用メディアから消えた。
セーブ用メモリカードはゲームメディアじゃないので別モノね。
ちゅうカードの歴史ダイジェストでした。
今日の成果は……。
インド人の線画を修整しただけだす。
OPIを直してるだけで終わってしまった。

服乗せるベースね。
休みはあと1日なのに、コレで何か進むのか?
実は月曜は墓参り。