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大雷音寺日記ログです。
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5/27はドラクエ1の発売日だったらしいですな。

当日に知っても何もできんばい。

会社で知った時は、帰ったら何かいかがわしいネタ絵を描こうなどと考えるのだが、そんな体力残ってない。
2年前に描いたあぶないみずぎに頼ろう。


大昔、弟のドラクエ1作目をプレイしたのがきっかけで、わしはゲームにのめり込んでいったのだった。
それまではビデオゲームに見向きもしなかったんだけどな。
パソコンもmsx2+まで触ったことすらなかった。

しかしファミコンもドラクエも入手困難な時代。
たしかファミコンは新宿さくらやの抱き合わせ販売で買ったのだ。
まだソフトを選ばせてくれる頃でしてな。
がんばれゴエモンとバベルの塔が初購入ゲーであった。

いきなり良ゲーとは運がいい。

いつドラクエを入手したかは覚えてない。
気がついたらハマっていた。
ドラクエ2は、またさくらやでゲリラ販売の時に買った。
昔の量販店はけっこう際どい売り方してたな。

その後、自分がゲーム屋になるとは思いもよらず。
ファミコンを見て、なんで絵がギザギザしてるんだろうとか考えてたヤツだったのに。








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重機動メカ。

ひかりのくに絵本。

ひかりのくには大阪の出版会社で、デザイン事務所時代にここと仕事してました。
当時はロボット物じゃなくて特撮物やってたけど。

「小学館はんは見開き8枚だけどわしらは7枚ですねん」
という、コストを下げて販売伸ばす商魂を見せてもらいました。

昔はこういうカタカナにルビふる絵本作るのがイヤでイヤで。
内容もアホ丸出しでっしゃろ。
今ではその醸し出す味わいを楽しむこともできるのだが。

こいつらもたくさん描きました。











薔薇は薔薇は……邪魔です。



最近のハナシから昔話に行く流れ。

ちまたでは食い物屋のバイトがくだらねぇマネやった動画で炎上する案件が増えとりますな。
専門家によれば、社員教育だ何だと言うよりまず人を消耗品として扱う企業に問題があるが、人手不足で誰でも雇わなければならない今の事情もあるちゅう事で、運悪くババ引く率高いわけですな。

とあるIT企業では、仕事しないけど自分を天才と思ってる人を雇ってしまった為にずいぶんな損失を被っていた。

だが彼は「ここじゃオレの実力を活かす事ができない!」と言って辞めたらしい。
都市伝説じゃなく、本当にそんなやついるんだな。

労働者のひとりとして心苦しい言い方だが、人は選ばないといかんね。

大昔、わしの勤め先がスーファミゲー開発してた頃。
ニンテンから示されたデバッグ時間が足りず、とにかく人海戦術で人集めて数でデバッグ時間を水増しする方法が取られた。
ふだんはデバッグ要員の面談をやって困った人はお帰り願うのだが、この時は判定を甘くしてずんどこバイトを雇ってしまったのだ。
結果、デバッグ時間はクリアしたものの集めた人員にアホも混じっておりましてな。
作業終了後、会社出入り口のちょっと広い所にたむろして、カセットデッキ(笑)の大音量流しながら踊り狂ってたのが沢山おり、警備員につまみ出される事態が。
むろん会社には厳重注意が言い渡された。

今じゃ専門デバッグ部隊もおるし、デバッグ専門の会社もあるのでアホの交じる率は低い。

デバッグというか品質管理なのだが、結構ものすごいスキルが必要なのです。


さて、こんなに円盤買ってしまったのだが何から見よう。











鮫!鮫!鮫!


尻!尻!尻!



かつて「できるかな」というNHKの番組があったじゃろう。

アレのガラクタいや工作の案は、ノッポさんではなく別の偉い人が考えていたのだ。
当時で1コ3万円くらいしたと思う。
牛乳パック刻んで作ったゴミいやオモチャがな。

デザイン事務所時代、できるかなの絵本を作る事になったのだが、予算がなくてあのガラクタを3つくらいしか使えなかった。
版権料も高いのですよ。
そこでわしが影武者となりましたわ。
惣菜のパックにセロファン貼ってカバ作ったりな。
今だと大問題だが、すべてがアバウトなアナログ時代。
何のおとがめもなしですわ。

しかし、マジカルエミのコミカライズのモブにキン肉マンを描いたらバレた。
入稿が半日遅れました。
ケンシロウも描いたのだが似てないのでバレなかった。

それはともかく「できるかな」が、つかの間の復活をするらしい。
ゾンビとなって。

あの“ノッポさん”と“ゴン太くん”がゾンビになって29年ぶり復活!? NHKが狂気の「できるかな」動画公開

なんと悪趣味な。
ドラマの宣伝らしいが、当のドラマは何かダメダメな感じのゾンビ物のよう。

ゾンビと言えばアレですわ。
ゾンビウイルスが特定されて治療法が確立し、ゾンビが治った世界の映画があるんですな。

「ゾンビパニックが解決した後」の世界を描くホラー映画「The Cured」の予告編が公開中

ソンビって治るんだ……。
グロいのはイヤだがちょっと興味ある。










ベルスターは変身前の女優が演じてるので安心だね。


バトルフィーバーのミス・アメリカはたまに男が演ってるので油断ならん。

それはともかく。


月曜は体調不良が何人か発生して、むなしい休みの延長をしていた。
予言どおりになっちまったヨ。
後ろの席のデザイナー達は全滅してて打ち合わせもできん。
わしも休めばよかった。

そのかわり少し早く帰宅できた。
飯食ったの9時だけどな。

昔々の特撮版グリッドマンの放映当時の事ですがな。
日本の個人用パソコン所有率はなんと11%しかなかったそうで。
その頃、わしは国産パソコン数台持ってて部屋が電子の要塞となっていたのだが。
グリッドマンでは、送電線を伝わって電子怪獣が機械に侵入しておりました。

実は送電線を使ったネットワークというのは、技術的には可能で研究されていたのだ。
だがセキュリティだだ漏れで実用に耐えないのが発覚して消え失せた。
送電線なら工事もなく国内どこでも通信できるのに、残念ですな。

昔の通信はアナログモデムを使ってアナログ回線でやっていた。
クソ遅くて通信費もクソ高い。
NNTの独占のせいで、世界から10年遅れてると言われてましたわ。

わしはエロ画像をゲットするためにモデムを買った。
ん、何かおかしいかね?

ある日わしは通信費の安い深夜に、モデムでエロ絵描きの草の根ネットに入ってみた。
はずが……。
「もしもし?」
と、男の声でパソコンから声がした。

「ギャーッ!!」
線引っこ抜いて切ったわ。
どうやらただの電話に繋がったらしい。
夜中に悪い事した。

今では通信なんて当たり前になっているが、昔は妙な偏見があってパソコン通信は暗いと言われていたのだ。
暗いと言う根拠がわからん。
以上、苦し紛れの昔話。










ユンカース・カム・ヒアというアニメ、名前だけしか知らなかったが犬が出てくるやつだったのか。
わしはてっきりユンカーズF2でも出てくるのかと。

by.マッハバロン。


わが三鷹駅ではエキナカ商店が充実しているが、駅なんか一分一秒でも離れたいのでそんなもん利用しない。
かつてとある店で食中毒もらったしな。

そのような三鷹駅も、昭和40年台はこんなカンジ。


実に味わい深い。
三枚目の駅前歩道橋は昭和60年代まではあったと思う。
昔は駅前に立ち食いそば屋が4軒くらいあったんだが、今はエキナカに1軒残すのみ。

そして今では信じられんが、だだっ広い無料自転車駐輪場が3箇所くらいあったのだ。
無料と言ってもわしらの税金で管理されてたのだが。
よく空気抜かれたりミラー盗まれたりしたわ。
だが、いつしか駐輪場はなくなって、ビルがおっ立っておった。


かようなどうでもいいノスタルジーだけではなんなので、バイオハザードのパンツァーショットでも貼ろう。

誰のPan2かわかるであろうか。










仮面ライダー。



大きな栗の木の下でちゅう唱歌を仕事で調べていたら、微妙にエロいイラスト発見。


幼児向けの絵でこんなん描けるなんてうらやましい、と思ったらコレ以外の唱歌絵はエロくない。
つーコトで大昔話です。

世がデジタル化する前のことじゃ。
何もかも手書きの世界。

雑誌のレイアウトなども、まず雷鳥上質紙に原稿サイズの寸法取って定規で線を引き、写真の入るエリアには暗室でフィルムを投影する機械を使って手書きで印刷用のアタリを取っていた。
文章以外のサブタイなどの文字は手書きレタリング。
色は色鉛筆で荒く塗って文字で色指定。
金赤ベタはよく活躍した。

そのようなアナログデザインの会社にいたわし。
絵本のレイアウトやアニメのコミカライズの下書きをよくやったわ。
幼児向けの絵は、当時は上のようなエロいキャラは描けん。
よって、差し障りのない無味な絵をよく描かされたモンです。

役所の交通安全絵本の仕事の時。
元になる文章の原稿を渡されるのだが、アホが書いた文でしてな。

「お子さんと手をつなぐのではなく、手首をつかんで逃げられないようにしましょう」
とか、
「お子さんが道路に飛び出すと、車にぶつかってケガをしたり死んだりするので気をつけましょう」
などとしれっと書いてあってな。
そんなのに挿絵を描かされるのは苦痛であった。

かようなアナログレイアウターの世界も、デスクトップレイアウトが主流になった後、たぶん絶滅した。
わしのいた会社、20世紀で消えておった。










昔こんなパソがあったなぁ。

危うく買うトコだった。


今宵はかなりどうでもいい昔話にござる。

かつて存在していたゲームメーカー、アイジーエス。
今あるアイジーエスは別物ね。

ここは五反田のマンションの一室に開発室を持ち、若かりし日のわしはそこに勤務しておった。

ある日の夜ブッチョサンが、会社に残ってた何名か引き連れて飲み屋に連れてってくれた。
地元の安い外国人バーにな。

同僚Sはマリオがやせたような風貌の男。
やつを見るなり「ハハハ、ルイージ!!」とイタリア人らしきねーちゃんが喜んでおった。
帰るまで喜んでいた。

ルイージはその後、天安門事件直後の中国に出張に行かされて100元で地元のいやこれは前にやったな。

わしが辞めた後のルイージの消息は不明。
つーかわしアイジーエス時代の同僚、今では一人も知らん。
ブッチョサンは海外のジャングルで行方不明とか聞いたし。

本家ルイージ氏。スマブラ新作ではとうとうおなくなりに。


オマケ。スマブラのパルテナ様のP。











誘拐と言えどOPI鷲掴みは避けるコシカケマン氏。



昔昔大昔、わしが小学生の頃。
ムーで有名な学研から子供向けの学習誌が発売されてたのだが、高齢者ならば知っていよう。
科学と学習である。


小学館の学習雑誌とは路線の違う本で、主に理系数系の内容であった。
そして付録が豪華なのでわしは買い続けていた。

↓ココに付録ギャラリーがあるど。
https://www.gakken.co.jp/campaign/70th/

コレは一般販売ではなく、ヤクルトみたいにおばちゃんが学校に売りに来るのだ。
だが、東京サイタマでは当たり前のように販路があった科学と学習も……。

わしが小5の時に人外の異界伊東に引っ越した時。
あまりの僻地で教育者も学研に協力的ではなかった為に科学と学習は販売されていなかった。
教師に聞いてもそんなもの知らん売らんと言う。
ここでわしの科学と学習の歴史はぷつりと途絶える。

どうやら10年前に廃刊になったらしいな。
21世紀まで販売してたとは。
しかし……知らん間にずいぶんとカオスになっておったようだ。

1996/3月号「6年の科学」の付録動画。


狂気しか感じねぇ。











闇落ちスーパーガール。銀とはな。

後ろにいるのは八九寺とダンバインです。

実は夏休み取れた。
げっちょから3日間。
スマホゲーは自転車操業なので休み取るのがじつに難しい。
去年も飛び飛び休みだったらしい。覚えてないけど。

ちょうど一ヶ月くらい前。
同僚の敏腕プログラマが突如入院。
検査したらヤバかったので入院します、というドライな勤怠メールとともに。
入院先で仕事できないっすかねぇ、などという連絡も届いた。
そりゃムチャでんがな。

それで思い出したのだが、日本テレネッツ時代。
わしが入社する前の事だが、やはり敏腕プログラマが倒れて入院してしまった。
すると社長と重役達は、何を思ったかパソゲー開発機材一式を入院先に持ってきて言った。
「さぁ仕事しろ!」
激バカである。

医者は激怒。
「おまえら患者を殺す気かッ!!!」

機材持って重役達は病院から退散。
訴えていいレベルの案件だが、笑い話となって語り継がれていた。
ウルフチーム社長の未遂事件とならんでテレネッツの怪だな。










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