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大雷音寺日記ログです。
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日参画像BBSで見つけたデジタル8色時代のグラ。
エニックスのゲームらしいですな。

昔はコレでよかったのだなぁ。

描いてる人はボスボロットの真樹村正氏。
今も現役でエチーなFlashを販売してるようですな。
ちなみに本人のHPにはないです。

真樹村(現どろんぱ)氏のリンクで岡崎優氏も発見。
ガンダムのアレなマンガばっか有名ですが、昔はキューティハニーとか描いてたし、2001年はレディコミもやってたんですな。
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やっと一週間オワタヨ。
帰宅は毎日12時前で仕事は忙しいが割とやる気に燃えておりましたものの、経営陣から全社向けに出た冷たいお達しに情熱も下降気味になりつつ社外秘なのでくわしくは言えませぬ。
コンサルに踊らされる株屋の詭弁には人の心がない。



きょうは昔話です。

昔々、おもに12チャンネルでは、アメリカアニメをよく放映しておりました。
20年前くらいまではハンナバーベラとか見かけたよなぁ。

さらに大昔は、怪獣王ターガンとか大魔王シャザーンとかの時代があります。
ポパイのアニメなんかも放映されてまして、それには女装した池沼らしき大男の「アリス」というキャラがおりました。
言葉もろくにしゃべれません。
今ではその記録は完全抹消されてるみたいで調べる術がありませんが、倫理の緩い頃はアメリカアニメにはあやしいキャラがたくさん居りました。

1つの胴体に3つの頭を持つ「三つ子」と呼ばれる軍人とか、もろ中国人の偏見スタイルの「ソーハイくん」とか。
一応コメディアニメです。

「ジャンボ」という原始人ヒーローもいたんだが、近年リメイクされてるようですな。
アメリカアニメは、今じゃディズニーくらいしか輸入されないんだよね。
トランスフォーマーくらいはやって欲しいトコロ。


見つけた。
うちのマウンテンサイクルから。
 
原点回帰ってワケじゃないけど、また読んでみるばい。

たしかネオファウストも買った覚えがあるので、どっかにあるハズ。
発掘してみよか。
とっても切ないけどね。
(手塚治虫最後の作品で、未完)

昔々、漫画家を目指してた頃。
身の程もわきまえんと、いつかジャンプの手塚賞を取ったるわ、と妄想してました。
手塚賞応募作品は、いつも佳作ばかりで賞を取る人なんてほぼいなかったのを覚えてます。
それだけに狭き門と思ってたんだけどね。

くそ安いデザイン事務所に勤めてたある日、ひさびさの手塚賞入選!などという文字につられてジャンプを見てみました。
が……なんだかクソみてぇな凡作だったような。
あまりに印象薄くて完全に忘れたわ。

大人の事情ちゅうのを知った時でした。
手塚御大、たぶん審査にかかわってなかったんじゃないかな。
と思いたい。


去年だったと思うけど、あるスーパーの駐車スペースで紙芝居をやってました。
親は立ち見、子供たちが座って見てるというほほえましい光景です
大昔は、あちこちでこういう風景だったんでしょうな。
今は紙芝居をやるNPO団体があるみたいです。


紙芝居と言えば黄金バットです。

戦前の人気紙芝居に、黒バットという無敵の悪者のお話がありました。
その最終回に黒バットを倒して現れたのが、正義の黄金バットです。
強いヒールをさらに強いベビーフェイスが倒すという構図はプロレス的ですな。
当然のごとく大人気となり、贋作やらなんやらの黄金バットも登場したもようです。
だが戦争ですべて灰になり、黄金バットは口伝で人の記憶に残り続けたのでした。
著作権ゴロもいなかったので、最初に考えたのが誰かなんてのは、もう失われてしまったようです。


戦後、新しい紙芝居や雑誌掲載、そして映画化にアニメ化と衰えることなく黄金バットは生き続けます。
でも近年、バットを復活させようとする試みがあったものの、頓挫したようですね。
さすがのアトランティスの神通力も21世紀までは通用しなかったか。

大笑いする金色のガイコツ……アメコミなら今でもオッケーかもしれません。

怖すぎる映画ポスター。


元全日本プロレス大仁田厚の店、という飲み屋のそばに住んでいたライヲンです。

アトランジャーのコミカライズをされた今道英治氏。
マジンガーシリーズや猿の軍団のコミカライズもされていた方です。

モーションの描き方が望月三起也氏風味でしたが、元アシスタントだったようです。

この人が一時期所属していたデザイン事務所が、私の東京での初の職場でした。
氏は辞めた後でしたが。

このデザイン事務所では、アニメなどの出版物のレイアウトなんかをやってました。
今となっては笑い話ですが、嫌な思い出ばかりです。

年収84万。

税務署のヤツに、よく生活できますねと言われました(笑

で、色んなアニメ出版物の元絵みたいなもんをたくさん描かされましたが、私の名前が出る事はありません。
出された本には、まんま元絵なのがけっこうありましたが、影武者ですな。

「漫画家になりたくてなれなかったヤツがいいんだよ」
とは、小○館に人を紹介してもらおうと、社長が電話でよく言ってた台詞です。
自分ができそこないの便利屋だとしみじみ思う瞬間でした。

数年後、ゲーム会社の求人に飛びついてめでたく退社できました。
まがりなりにも自分の名前がエンドロールで流れるようになったのは、今は亡きIGS。
1年で辞めて日テレ行ったけど。


きのうのつづき。

私が最初に買ったMacは、PowerMac6100。

新宿で中古3万くらいで買いました。
コイツにCPUアクセラレータキットというのをかましてクロックアップし、RAMダブラーやCPUダブラーなんかのアプリを突っ込んで使い倒しました。
ビデオキャプチャも貧弱だけどできたような。
当時のウチの環境はFM-TOWNSにX68kにPC486MUも持ってまして、電子の要塞状態です。

そしてMAC互換機Pulser1500に買い替え、インターネッツにダイブ。

しかしその後、APPLEにジョブスが返り咲いた関係で互換機計画は即効おしまいとなり、ウチのマシンはOS8以降は動作対象外です。
一応OS9は動いたど。

Pulser1500のフタの裏には、開発者の名前がすべて刻まれています。
彫刻刀で彫ったような文字で。
いかに当時の意気込みがすごかったが伺えますが、開発元のU-MAXは、今やかなり残念な状態。
思い切りババひいてしまいました。

最近も無許可のMac互換機が出て裁判沙汰になってますな。
なんか潰れたらしいが。
こうなればAPPLEはAPPLE道をとことん突き進んでほしい。
そして日本法人をなんとかしてくれ。


今はあるのかないのか知らないアルが、昔ソフマップにMac館がありました。
なぜかクソ店員いや失礼態度の悪い店員が回されてたようです。
APPLE日本法人自体の対応が劣悪なようですが、売る気あるんかいな。

という私は元マカー。
MacはWindowsに比べて、OSとアプリに統一感とスタイリッシュさがありました。
マウスカーソルの軌跡もブレないしね。

ウチにあるのは、Mac互換機のPulser1500という機種。
知ってる人いるかな?

でも今はWindowsメインで、Macはしまってます。
10年前、職場の環境がWindowsとなり、同時に家の環境もWin寄りに変えたのです。
まぁ家でも仕事するんで、長いもんに巻かれたのですな。
しばらくはPCとMac両方を起動させており、初期の機動戦士アッガイもMacで動作確認してました。

ある時、内蔵HD接続用ボード、IDE-ONが出ました。
これはUltraSCSIもE-IDEも同時に繋げるというスグレモノでした。
SCSI-HDが4GしかないのウチのPulseに、低価格大容量(当時)のE-IDEのHDを導入するために購入。

しかし喜びのつかの間。
やがて思い知るイデの輝き。
発動したイデはSCSIもIDEも飲み込んで浄化して行くのだった。
HD全滅!!
復旧ソフトも、因果地平に旅立った魂たちは呼び戻せない。
IDEONの名は伊達ではなかった。

……Pulserはそのまま使わなくなりました。
バックアップ?なんだねそれは?


会社の階段上ったら、ひらめ筋が痛いライヲンです。
きょうも昔話じゃが、ちょっと前の事です。


2002年4月。
Flash5を購入し、GIFアニメから乗り換えようとしていたわらし。
ベクター作画もタイムライン制御もなんだか理解できません。
しかしチュートリアルを真面目にやって、しくみを理解しました。

そしていきなり作ったアッガイmission6A。

いやはや、ひでぇモンですな。
秒間12フレームで作ったのに8フレくらいに見えます。
本当は削除したいほど残したくないんですが、作り直す手間と天秤にかけて残してます。

それから色々と勉強して技術を習得していきました。
バックエンジニアリングもやりました。

処理落ち回避に曲をストリームで流すちゅうのは、mission7の頃まで知りませんでした。
ビットマップに補完かけないと、拡縮でガサガサになるちゅうのもmission8あたりから気にし始めました。

ムービークリップの使い方をちゃんと覚えたのはメドゥサ・タッチを作ったおかげです。
SEやBGMをムービークリップにして貼るのも、コレで覚えたです。
実は曲のフェードアウトも、スクリプト書き込んだムービークリップを貼りつけております。
コレってエンジンと呼んでいいのだろうか。

長い事やってるわりに知らない機能まだ多いです。
必要にならないと何も覚えないという例ですな。
ビットマップ処理は4年ほど見落としてました(笑


ゾーマ(別名プーチン)に怯えた小沢一郎がまたオザワったりする今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

また、アスホール首相がアニメ美術館とか言うてますが、売国役人の新しい天下り先だろうと思います。
でもってアニメで思い出したので、きょうは昔話のお時間よ。


日テレ時代、元アニメーターのOさんという痩せたお茶の水博士がおりました。
アニメーターと言うと、昔から収入の少なさの事をよく耳にしましたが、彼がアニメーターを辞めるちょっと前の月収は30万だったそうです。
でもボーナスはないんでしょうな。
ゲーム屋に入って収入は上がったと言ってました。

彼の子供はアンパンマンのファンで、親子でほほえましい会話をしてたそうです。

「おとうちゃん、おとこはハートだよね!」
「違うよ、男はカネだよ」
「うそだ、ハートだもん!」
「カネだっつってんだろが!」
「だってカレーパンマン……」
「カネだよカネ!」

子供が泣くまでやめないッ。
夢よりカネか(笑

そんなOさんはパチンコ好きが高じて、日テレとパチンコ業界の橋渡しをしていたとか。
それでも潰れてもうた日テレ。

はっ、まさかアニメーター時代、パチンコで稼いでたのかOさん!?


昨日の続きです。

まだマルチの事をよく知らなかった頃、友人に誘われマルチのセミナーに行った私。
講義は面白かったが、その商法や、中卒者を例に出された事で不信感爆増。

日テレ時代、中卒のプランナはいました。
当時20歳。
性格に問題あったけど、ゲームを何作も世に出したヤツです。
いわく付きのゲームばかりだったけど(笑
PCエンジン版ゴール○ン○ックスの不思議シナリオは彼の作品。
○ギ○ンという神話レベルのクソシューや、ハイグ○ネー○ーを知る人は、あまりいまい。
G○ックス以降は、プログラマに恵まれなかったのが彼の不運……。

まぁソレは置いといて。

セミナーは無事終了。
後押しタイムです。
メンバーがシロートさんを口説き落としにかかります。
ハイテンションで、儲かるから仲間になれってな具合に。

「オレが金持ちでオマエが売れない画家でもいいのか?」

……友人の言葉が、すべてを物語っていました。

それ以上聞くのも時間の無駄なので席を立ちました。
まだ時代がゆるやかだった頃なので断るのもすんなり。

友人だった男のその後は知りません。
会社は、消費者センターのリストにも載ってる集団らしいです。

騙された者が更に仲間を騙し、カネを貢ぎ貢がせ、やがて信用も財産も失っていく。
カルトにソックリだなぁと思いますわ。


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