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大雷音寺日記ログです。
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PCエンジンスーパーグラフィックスかと思った。




昼にココイチで5辛カツカレー食ったのですよ。
よもや5辛ごときで根を上げるとは。
そして6時間たっても消化しきってない。
カツ丼は余裕で消化できるのに。

さて、なかなか新鮮なネタがないのでまた太古の昔話です。

先日、仕事中にオカマについて考えておった。
そういや、中学の頃強烈な友人がいたわ。

性同一性障害ちゅうのがポピュラーになるず~っと前。
あやしいのが同級生におりましたよ。
しぐさ、言動、全てに於いてオバチャン、という男が。
だが背も高く筋肉がついてて鼻筋の通ったそれなりの容姿であった。

当時の男子中学生は理不尽に全員丸坊主がデフォである。
ちょっとでも髪が伸びると担任教師がバリカン持ってきて刈ってしまう。
実は床屋代が助かるのでわしは歓迎していた。

ある日、ヤツの髪がちょっと伸びたちゅう事で教師に捕まってバリカンかけられようという時、泣き叫びながら必死に抵抗していた。
「髪は女の命だからな」
友人Bがつぶやく。

もう数10年会ってない。
ヤツも、もういいおじさんのハズだが、ポコをカットしてしまったかも。








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絶滅したハズのバレンタイン義理チョコイベントが社内で行われておる。
そういや去年部署変わったので、ここじゃ根治してないのだな。チッ。
でも、先月までいたチームで、今は違うチーム所属だからわし関係ない。
メールまわって来たけど関係ない。
来月なんて知らん。

と思ったらこっちのチームでも回ってきた(笑
わざわざ配ってくれるので、いらんとは言えず受け取るしか無い。
わしマジでこのめんどくさいイベント好かんのだが。

昔々、10代の頃。
ある大学生と浪人生のサークルでの事。
わし大学も浪人も関係ないけど出入りしてた。

そこのサカリの付いたオスどもに、ちょっとかわいいネーチャンが義理チョコ詰まった袋持ってきやがったんですわ。
その袋を受け取ったサカリ男その1。
実はたまに日記に登場する万年浪人(この時まだ浪人一年生)。
あろうことか全部自分のものと勘違いしてひとりで持って帰りよってな。
他の誰も受け取れずなぜかネーチャンだけ悔しがっててな。

本命でもいたのか。
よくやった万年浪人。
ちなみにやつはお返しなどしない。
そしてまた受験にも落ちた。

翌年からはチョコ袋女見なかったな。

昨日の絵。











わしは空手は知らん。
どっちかっつーとカンフー。
香港映画ブームの頃、山で本見ながら練習しただけだがな。

ケリの練習してたらヒザで自分のアゴ蹴って血ィ吹いたわ。
体は柔らかかったのだ。
今じゃ柔らかいのは腹とちんこである。

それはともかく。

わしの中学時代という太古の頃。
同級生のカラテバカに教わったのだが、鶏口拳と言うのをご存知であろうか。
こういうヤツ。


同じ頃、伊東の中学生にツボ打ちが流行ってましてな。
別にケンカするワケでもないのに、男子同士で肩や肘のツボを打って微妙なダメージ与えるやつ。
北斗の拳が影も形もない時代、小僧たちは点穴で遊んでたのだ。

ユビ伸ばして点穴するとグキッとなりやすいので、そこで鶏口拳が用いられた。
ツボにクリーンヒットするとマジで腕しびれるで。
アホじゃろ。

鶏口拳はユデタマゴ割る時も有効である。
何箇所か当てると簡単にカラ剥けるのだ。

しかし、鶏口拳を調べると螳螂拳のように指先を揃えた図がヒットする。
わしが教わったのは数10年前だから、今じゃ変わってるのかな。










信じられん事に、リーゼントカバがamazoinキンドルで売ってやがる。


***リーゼントカバとは?***
1974年、がきデカが空前のヒットを飛ばした頃。
その後釜を狙って雨後の竹の子のように量産されたパクリインスパイア漫画の1つである。
作者は空飛光一。ねこのゴルゴの方が有名かも。

それはともかく。

前にスト2の話やったついでに書いておいたネオジオ昔話もやるぜ。
でも記憶があやふやだしあまり詳しくないのでアバウトな話だぜ。

時は1991年。
テレネッツ随一のゲーマーOくん。
基盤はむろんネオジオも速攻で購入する男。
4万エン超のROMカセットも続々購入し、社内でみんなにタダゲーをやらせる伊達男であった。

ネオジオはアーケードマシンだけあって、MDやPCEに比べて桁外れの処理能力である。
今となっては2Dゲーのマイナーハードだが、スプライト同時表示数がスーファミの3倍、同時発色数は16倍だったのじゃよ。
ポリゴンとフルカラーが当然の現代では虚しい数字だがな。

「ラストリゾート?ダセぇタイトルだな」
新作シューティングのタイトル見てそう言っていたOくん。



なぜか数日後には会社に置いてあった。
よもやRtypeの後継者みたいなシューティングとは思わなかったわ。



実にゲーム開発の横では、常にネオジオが稼働していた。
天使の詩開発の頃はマジシャンロードやASO2。
ばりすの頃は前述ラストリゾートやニンジャコマンドーが踊っておったよ。

かように、ほぼネオジオタイトル全部揃ったOくんのマシンは社内の一角を深夜のゲーセンに変えていた。
かわるがわるプレイされておったわ。
ヤリ○ンのごとく。

だが、あまりに白熱するタダゲー旋風に業を煮やした上司は、忙しいヤツようするにプログラマにタダゲー禁止令を発行。
その禁をやぶったある男はあろうことかクビに。
彼は後にニンジャウォリアーズをメガCDに移植する男であったが、これはまた別の話。



テレネッツでは龍虎の拳までしか記憶がない。
ちょうど辞めた頃だな。

次に勤めたゲーム屋でもネオジオ人気は続いており、基盤買うやつカセット買うやついっぱいおりましたわ。
しかしOくんのような伊達男はいなかったのでタダゲーはならずであった。










ファミコンの頃からおなじみの色替えモンスター。


本来データ節約のためなんだが、世が3Dゲーとなっても伝統は受け継がれておる。
でもファミコンだと10分でできる色替えも、3Dだとテクスチャ描き直さねばならない。
最近、毎日仕事で泣いております(笑

ここ近年はアレですよ。
モデリングもカイガイ発注だったりするのよ。
作る量も天井知らずだからな。
プレイヤーに1p2pがあればよかった時代はもはや遠い昔で、30p40pとか平気でありますわ。
チンコだって3pが限界だろうに。

でも初代スト2見るとキャラ8人少なっ!と思いますな。
当時は、プレイヤーが8人もいるぜ~!!だったのだが。

マイク・タイソンと名を許されぬ修羅と片目ハゲと加藤保憲はクリアしないと使えなかったのだ。

スト2で思い出すのが、当時の熱気である。
ちゅうコトで昔話を開始する。

言わずと知れた春麗さん。

ゲーメストで「食い込みがスゴイ!人気でそう!」と頭の悪い紹介が載っていた。
だがゲーム内容は他で熱く語るトコにまかせるとして、別アプローチ。

スト2が瞬く間にヒットしたあの頃。

あまりの人気に、PCエンジンCD-ROMのファイティングストリートまで売れてしまうという白熱ぶり。
更に、家庭用ゲームに飽き足りぬ男たちの間で、ゲーセンの基盤を買うのが流行っていたのだ。
日本テレネッツでは個人で買った基盤が、なんとデバッグ用席に設置してありましてな。
スト2の基盤はいくつあったかわかりゃあしない。
昼休みや徹夜残業時は、社内はゲーセンと化していた。
コントロールボックスはシグマ電子だ。

飛ばされるのでろくに見られないオープニングデモ。誰だよこいつら。


やがて100メガショック!ネオジオ登場。
昔は100メガビットで喜んでおりました。

信じられない事に、4万円以上する業務用ROMカセットが飛ぶように売れておったのよ。
むろんテレネッツ社内に個人のものが設置されてあったのだ。
餓狼も龍虎もニンジャコンバットもタダで遊ばしてもらいました。


なぜ貴重なゲーム資産を家に持ち帰らないのか?
そりゃほぼ家に帰れないからじゃよ。

深夜はスト2とネオジオはちんぽの乾く暇がないほど稼働していた。
am2時にもなるとみんな個人で買ったフトンを席の下に敷いて寝ます。
朝9時まで寝れるから寝不足にもならない!
ひでぇ環境だったが若い時分は楽しかったわ。










仕事中にオカマについて考えてたら昔の事思い出したので昔話にいたす。
オカマは何の関係もないが。

デザイン事務所時代。20世紀の頃じゃ。

まったくフツーの、あまりアニメにも詳しくない新人のおなごがおった。
ある日ライブマンの仕事を担当し、設定資料を読んだり番組見たり、東映に打ち合わせ行ったりした頃には立派な腐になっていた。
「あたし、ボルトに入れと言われたら入っちゃう!」
毎日そう言っていた。

でもな……。
ボルトは天才しか入れないのだよ。
その後小公子セディにハマってたので順調に腐の沼に入っていったのであろう。

当時のわしは、デザイン事務所で子供向け絵本や雑誌の特集記事などを作っていた。
絵本の仕事では大阪の出版社の人がよくやってきた。

「2号ロボが出るんや!」
「ボクサーロボやで、タイトルそう書いとってや!」

思い切り間違えた指示を出されたが、わしは2号ロボがライブボクサーだと知ってたのでこっそり変えた。

考えてみると特撮系もよくやってたな。
こんなやつ作ってたわ。

解剖図指示したら没にされました。

ある日の事。
社長が新番組の試写会で東映に呼ばれて行った。

「ジライヤ?なんで昔の時代劇を今更……」
と文句言いながら。

試写会の帰り。

「ジライヤ面白かったで!」
「絵本作るど!」

そんな感じであった。
楽しそうに見えるじゃろ?
実態は、どブラックな会社でしてな。
21世紀を前につぶれたらしい。

会社跡は駐車場となっておったわ。











昔々、アイジーエスという会社があってな。
まぁここで何度も出してるが、わしがはじめて勤めたゲーム会社です。
正確に言うと、当時の気象衛星のプログラムを作っていた会社のゲーム部門。
ぐぐると同名の会社があるけどそれは別物。
わしのいたアイジーエスは倒産して久しい。

当時は2Dゲーム全盛期。
ド○ゴン○ピリットを堂々と解析してサイバーなんとかを企画なんでもない。
驚いたことに今の会社でサイバーなんとかを知る人皆無なんだわ。
高齢者でもな。

それはともかく、当時初めて聞いた単語「ポリゴナイザー」。
ナムコのアーケード基板SYSTEM21の別名である。

ファミ通で記事を見たわし。
「ポリゴナイザーってなんじゃ?」

すかさず営業のTが応える。
「ポリゴンちゅう三角形で3D描画する基盤だよ」

Tはふだんはゴリラだが、仕事の知識は豊富であった。

ポリゴナイザー第一弾のウイニングランの衝撃は、当時を知るものならわかるハズ。
今見ると大したことなさそうに見えるかもだが、2Dゲー時代にいきなりコイツが登場したのよ。


その後のSYSTEM21にはソルバルウやスターブレードなどが登場。
ゲームの3D化の流れはナムコが先鞭をつけたと言ってよかろう。

わしはその頃ぽっくんモグラーの絵コンテを描いてたな。
そして2Dゲーにおける、チップもしくはキャラクタと呼ばれる8×8ドットの画素の仕組みを理解したところだった。
2×2と言えば16ドット角のオブジェクトの事を言う。
今では化石の知識だが。

プレイステーションが発売されるのは、この時から6年後。
今の会社でPS開発が決まった時、まさかずっと16色のドット絵描き続けるとは思っていなかったが。


昨日の過去絵。










わしが中学生だった太古の昔。
伊東という、お茶と温泉の原始世界に住んでいた頃。

そのころわしと仲間は本で聞きかじった魔術にかぶれており、友人といつか悪魔呼び出そうぜとバカ極まりない話をしていた。
そしてウワサを聞いたのだ。
学校の校門近くにマンドラゴラが生えていると。

「コレじゃ」
詳しく知ってると言うやつから具体的に場所を聞き、変な草を特定。
ヤツは他の場所で同種のマンドラゴラを手に入れ、ソレは確かに人型の根っこだったと言う。
ちんこ取れてたらしいが。
教えられた変な草は、どうも図鑑で見たやつとは違うなぁと思いつつも、友人と休みの日に掘りに来ようぜと約束した。

やがて来た、ある日曜早朝。
シャベルとバケツ持った怪しい二人組が中学校校門にいた。
ひとりはわし。
もうひとりは友人の犯しお菓子屋K。

わし「さっそく掘ろうぜ」
お菓子屋K「でもよぅ、ひっこ抜く時に叫び声聞いたら死ぬずら」
わし「だいじょうぶじゃね?」

命の危機すら軽視するアバウトさである。
そして怪しい草の根の周囲を掘り、ひっこ抜いてみた。

「ギャァァァ!!」

とは草は泣かず、なんかフツーの根っこが出てきた。
なんか違うんじゃねぇかと、わしとお菓子屋Kはしらけてしまい、草を元通りに植え直した。
中学生なので、その後はマンドラゴラなんか忘れて遊びに行ったさ。

「アレさぁ、マンドラゴラじゃないってよ」
後日、そのように別の友人から聞いた。
アレはマンダラゲ、つまりチョウセンアサガオだったのである。
アホな中学生達は勘違いしておったのだ。

マンドラゴラを手に入れたと得意になってたヤツ。
英一コノヤロウ、おまえさんの持ってるのはマンダラゲじゃ。

しかし間違うのも無理はない。
当時、佐藤有文氏の妖怪モノのバイブルみたいな本で堂々と紹介しておった。
マンドラゴラをマンダラゲとな。

校門近くのマンダラゲは、数日後枯れてしまった。
ごめんよマンダラゲ。
でもな、マンダラゲは別名キチガイナスビorダチュラといい、根には強力な幻覚作用がありとても危険な植物なのだ。
ヤク中ですら躊躇する危険なブツらしい。










事故おこして何様のつもりだこいつ。

ヒロイモンです。

だが世の中には、子供の両親を事故死させたのを隠蔽するために、ブッコロした両親に化けて子供を騙し続ける宇宙人もいてな。
光速エスパーちゅうやつなんだが。

ところで、困った事に今度の土日も仕事で潰れるのが決定した。
週末が仕事のマージンというテレネッツ現象。
とりあえず牛めし特盛で自分をなぐさめる。

牛めし松屋は上京時からお世話になっておる。
吉野家よりも。
てなワケでまた昔話ですまんです。

昔々、吉祥寺駅北口のロータリーになってるトコに、でっかい松屋があったのだ。
平屋の、まるで山田うどんみたいな店舗。
よく通ったのだが、写真撮っときゃよかった。

その頃のメニューは、初期のまずい牛飯のみ。
マジで牛の醤油煮だったんだが、あのまずさを知る人もいなくなってしまった。

やがて南口の吉野家の近所にも松屋がオープン。
そこで定食メニューが初登場となった。
ヒット商品牛焼き肉定食も登場。
ついでに食券システムも導入された。

平屋はいつしか消え、北口にも別店舗が登場。
たぶん相当なテコ入れがあったのだろう。
それだけでなく、松屋の店舗の上の階ではラーメン屋の営業もはじめた。
すぐ終わったけどな。

今では三鷹北口に松屋本店が移転してきている。
フッ、わしを追ってきたな。


昨日の絵。











ユビにまつわる話でごんす。

名劇シリーズで昔ピーターパンがやってたじゃろ?
アレにフック船長の作った敵ロボットが出る回がありましてな。
作画の時にユビ4本で描いてたら、後から5本にしろと無下な指令が来たそうな。

そこでユビ1本分割線入れてムリヤリ5本にしたとか。
テレネッツの頃、元アニメーターがぼやいておった。
4本ユビキャラなんてのは、その昔はデフォルメにすぎなかったのよ。

太古、ケロヨンという着ぐるみキャラがおりました。
コイツは人が中に入るのに、ユビが4本だったのだ。
そこで演者がどうやってたかと言うと、中ユビ折り曲げて4本ユビ手袋をするのだ。
ガキの頃、イベントでケロヨンの手の不自然さをしっかり見た。

いつの頃からか、人権屋がさわいだらTVから一瞬でユビ4本は消えてしまった。
おかげでど根性ガエルも魔法使いチャッピーも再放送されない。
少なくとも地上波では。

古いゲームなどをソシャゲ移植するさいも、ユビ描き足したりするのだ。
いったい何本のユビを描いたことだろう。
するってぇと、少なくともファミコン時代はユビの本数はまだ甘かったのだな。

そういや妖怪人間ベムも新作ではユビ増えていた。
3本ユビの怪物ぽさがよかったのだが。

まさかと思うがブライガーのユビ増やせとか言われないだろうな。











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