大雷音寺日記ログです。
今日はちょっと宗教くさいオカルトめいた話でござんす。
おっさんの妄言とでも思ってくだされ。
ちなみに宗教は好かんので何にも属していない。
わしは輪廻転生はあると思うてるのだが、今存在する自分は仮の肉体として、精神も仮の存在だと思っている。
神道には一霊四魂という思想があり、4つの要素の魂、和魂(にぎみたま、調和)、幸魂(さきみたま、幸福)、荒魂(あらみたま、活動)、奇魂(くしみたま、霊感)を、直霊(なおひ)と言う霊がコントロールして、1人の人間を構成していると言う。
デッキみたいだな。
それはともかく。
今感じている自分という感覚が、いったいいつから存在するのか。
わしはこんな事を幼児の頃から感じている。
これ(自分)が存在する以前の世界とは何なのか。
自分の意識が長い輪廻の中ずっと存在してきたとしたら、それはいつからなのか。
誰もいない、何もない、そんな事があるのか。
ではいつ意識なるものが産まれたのか。
そしていつまで存在し続けるのか。
もし、実は意識がひとつのみで他は幻だったとしたら。
ここは本当は何の骨子もない、とてつもなく頼りない世界。
そんな事を考えて突き当たるのは、圧倒的な虚無である。
アドレナリンが吹き出す、ぞっとするような無の感覚。
そうなると、しょうもないわが人生でも存在するだけでありがたいかもしれん。
生きている今この時間だけは、間違いなく存在している事を感じる事ができる。
おっちんだ後は霊魂が5つに分かれ(欲望の消失か?)この意識ももっとものわかりのいい気分になっており、歩んだ人生を悔やんだり喜んだりしてるんじゃなかろうか。
そうなると人生一度きりというのは本当だ。
次に生まれるとしても、すべての記憶をリセットした別のまっさらな何かに変わっているだろう。
ではなぜまた生まれてくるのか?
たぶんやり直しじゃなかろうか。
昔、元自衛官の知り合いに自分という感覚の所在の大元についてつらつらと話したら「オレはさいしょからすべてあった、と思ってるよ」と答えが返ってきた。
いささか乱暴に思えるが、あんがい正解かも。
おっさんの妄言とでも思ってくだされ。
ちなみに宗教は好かんので何にも属していない。
わしは輪廻転生はあると思うてるのだが、今存在する自分は仮の肉体として、精神も仮の存在だと思っている。
神道には一霊四魂という思想があり、4つの要素の魂、和魂(にぎみたま、調和)、幸魂(さきみたま、幸福)、荒魂(あらみたま、活動)、奇魂(くしみたま、霊感)を、直霊(なおひ)と言う霊がコントロールして、1人の人間を構成していると言う。
デッキみたいだな。
それはともかく。
今感じている自分という感覚が、いったいいつから存在するのか。
わしはこんな事を幼児の頃から感じている。
これ(自分)が存在する以前の世界とは何なのか。
自分の意識が長い輪廻の中ずっと存在してきたとしたら、それはいつからなのか。
誰もいない、何もない、そんな事があるのか。
ではいつ意識なるものが産まれたのか。
そしていつまで存在し続けるのか。
もし、実は意識がひとつのみで他は幻だったとしたら。
ここは本当は何の骨子もない、とてつもなく頼りない世界。
そんな事を考えて突き当たるのは、圧倒的な虚無である。
アドレナリンが吹き出す、ぞっとするような無の感覚。
そうなると、しょうもないわが人生でも存在するだけでありがたいかもしれん。
生きている今この時間だけは、間違いなく存在している事を感じる事ができる。
おっちんだ後は霊魂が5つに分かれ(欲望の消失か?)この意識ももっとものわかりのいい気分になっており、歩んだ人生を悔やんだり喜んだりしてるんじゃなかろうか。
そうなると人生一度きりというのは本当だ。
次に生まれるとしても、すべての記憶をリセットした別のまっさらな何かに変わっているだろう。
ではなぜまた生まれてくるのか?
たぶんやり直しじゃなかろうか。
昔、元自衛官の知り合いに自分という感覚の所在の大元についてつらつらと話したら「オレはさいしょからすべてあった、と思ってるよ」と答えが返ってきた。
いささか乱暴に思えるが、あんがい正解かも。
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▼無題
嘘か本当かまことか。自分自身の事なのに、まったく正しいかどうか判断できない記憶があります。それは
「自分に胎児だった時の記憶がある」
というもの。
その時の記憶をやたら覚えていて
「なんか、むちゃくちゃ狭い所にいるなー」
次の記憶が一歳位で、でべそを防ぐために、五円玉をへそにつけられたときの記憶。
これが面白いと自分では思うのは胎児だったときの記憶があるという点では無く、自分が胎児だったのに「狭いなー」と思っていた事です。
生後マイナス児のくせに、何と比べて狭いと思ったのでしょうか?
もしかしたら、その時まで生誕前の記憶をもっていたのでしょうか?
感覚的に狭いと感じていた。というのはわかりますが、言葉として「狭い」ということを明瞭に覚えている点もまた面白いです。
その時は何かしらの連続性の中で、突然胎内にいたような感覚はします。
常識的に考えれば、もしかしたら母親の視覚情報が私の脳内にフィードバックされていただけかもしれませんが
まぁ、残念ながら生誕前の記憶は無いのですが、というわけで、輪廻転生もあるんじゃないかとは自分では思っています。
以上、zabara氏のオカルト話?でした
「自分に胎児だった時の記憶がある」
というもの。
その時の記憶をやたら覚えていて
「なんか、むちゃくちゃ狭い所にいるなー」
次の記憶が一歳位で、でべそを防ぐために、五円玉をへそにつけられたときの記憶。
これが面白いと自分では思うのは胎児だったときの記憶があるという点では無く、自分が胎児だったのに「狭いなー」と思っていた事です。
生後マイナス児のくせに、何と比べて狭いと思ったのでしょうか?
もしかしたら、その時まで生誕前の記憶をもっていたのでしょうか?
感覚的に狭いと感じていた。というのはわかりますが、言葉として「狭い」ということを明瞭に覚えている点もまた面白いです。
その時は何かしらの連続性の中で、突然胎内にいたような感覚はします。
常識的に考えれば、もしかしたら母親の視覚情報が私の脳内にフィードバックされていただけかもしれませんが
まぁ、残念ながら生誕前の記憶は無いのですが、というわけで、輪廻転生もあるんじゃないかとは自分では思っています。
以上、zabara氏のオカルト話?でした
▼岡ルト
胎児の記憶を持つ人はいるようですね。
http://matome.naver.jp/odai/2134985356844859101
生まれる直前まで記憶を有してるのかもしれません。
肺呼吸とともにすべて消えるのかも。
わしはさすがに胎児の記憶はありませんが、乳児の記憶がおぼろげにあります。
歩き始めた頃、大昔の石油ストーブに座ってケツが消し炭になった事も(笑
キンタが無事でよかった。
生誕前の記憶があるとハンディになると思います。
絶対昔の事を辿って記憶に囚われるだろうし。
http://matome.naver.jp/odai/2134985356844859101
生まれる直前まで記憶を有してるのかもしれません。
肺呼吸とともにすべて消えるのかも。
わしはさすがに胎児の記憶はありませんが、乳児の記憶がおぼろげにあります。
歩き始めた頃、大昔の石油ストーブに座ってケツが消し炭になった事も(笑
キンタが無事でよかった。
生誕前の記憶があるとハンディになると思います。
絶対昔の事を辿って記憶に囚われるだろうし。
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